Yoshiaki Matsumoto

埼玉県議会議員

自己紹介

誕生日:1987年7月15日
血液型:AB型
大切にしている言葉:「謙虚であること 謙虚にしていれば 周りが見えてくる謙虚にしていれば 自分の役割が見えてくる」高橋満男

略歴

入間市立狭山小学校(小学校1年生から6年生まで地元の少年サッカー ムサシFCジュニアに所属)
入間市立武蔵中学校(サッカー部に3年間所属 サッカー部部長 学級委員等)
埼玉県立川越高等学校(サッカー部に3年間所属)
早稲田大学(人間科学部 健康福祉学科 老年社会福祉学専攻)
早稲田大学大学院 修士課程(人間科学研究科 健康福祉科学研究領域 老年社会福祉学専攻)
日本社会事業大学 資格専門職(精神保健福祉士コース受講)

職歴

早稲田大学人間科学部非常勤講師
埼玉県立高校非常勤講師
高齢者福祉施設介護職員(小規模多機能居宅介護・サービス付き高齢者向け住宅・グループホーム)
入間市議会議員(3期 10年)

現在:埼玉県議会議員
(有)松本居宅介護サービス 代表取締役 (居宅介護支援事業所、訪問介護)
(社福)茶の花福祉会 評議委員
(社福)創和 評議委員
(株)オレンジリンクス 顧問
早稲田大学人間科学研究科 招聘研究員
NPO法人入間市にJリーグチームをつくる会 理事長
【地域活動】 入間市消防団 元部長(第6分団第2部)
(一社)入間青年会議所 第47代理事長
入間市商工会 青年部

エピソード

幼少期は当時医療従事者だった母の影響から医者になるのが夢でした。

その一方でサッカーに夢中になり、地元のサッカーチームにも所属。

当時の仲間は今でも大切な一生の友達です。
勉強も一生懸命して、その他にもサッカー部の部長、学級委員も務めました。
とにかく子供の頃の思い出は毎日サッカーをしていた事。
そしてサラリーマンとして仕事をしていた父親が、毎週末は自分のサッカーを見に来てくれる。それがやはり嬉しかった。

西暦2000年。何となく「新しい時代の幕開け」と誰もが感じていました。
IT革命と騒がれた時代は瞬く間に技術革新を遂げ、インターネットが欠かせない社会へとなりました。

一方で少子高齢化社会がじわじわと迫り始めた時代でもありました。
そんな時、介護保険法が施行され、入間市初のケアマネージャーとなった母親、そして父親も脱サラし、二人で介護事業所を開業。在宅介護にこだわり、その追及が始まります。
事業所を運営しながら同居する祖父の介護も行う母親。当時は「認知症」という言葉が無く、「痴呆」や「ボケ」と表現された時代。なかなか厳しい現実を目の当たりにしつつも数少ない社会資源を使いながら、そして地域の人々に支えられながら生活している様子を間近で見ることで、子供ながらに福祉や介護について考える事が多かった。

その後大学、大学院でも福祉を学び、福祉のあり方は、政治のあり方そのものであると考える様になりました。

そんなある日、東日本大震災を経験します。
「とにかく何かしよう、被災地の方の力になれることをしよう」と復興ボランティアの活動に参加。
家を失い、家族を失い、仕事も何もかも全て失いながらも地域で力を合わせながら生きる被災地の人々の姿に、感服し、地域や社会の為に役立ちたいと政治家を志し、入間市の市議会議員に立候補します。

学生から社会経験もそれほどない状態での選挙運動。
当然初めての事ばかりで、何もかもが戸惑いの連続でした。
そんな時父親がガンである事が判明。
「こんな事していていいのか?」という思いが頭をよぎる中、そんな状態でも父は足を引きずりながら一軒一軒私と一緒に挨拶回りをしてくれ、「息子をよろしく」と頭を下げてくれる。

父に申し訳ない気持ちと、それでも志を持ち続けようと自分を奮い立たせる思いと戦い続けた結果、最年少の25才で何とか当選を勝ち取った喜びは今でも忘れることができません。

その後3期10年の活動では、様々な出会いと学びを得て更なるステップを求めて埼玉県議会議員へ挑戦。

埼玉県議会議員としての
新たなる挑戦

ここでも皆様からのご支援をいただきながら初当選を果たし、現在1期目の活動に日々奮闘しております。